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『ハテルマ ハテルマ』

10/24 石垣市民会館大ホールにて、証言による朗読劇『ハテルマ ハテルマ』を
見てきました。脚本、演出は栗原省さん(82才)。演技指導のため、6月から毎週
のように和歌山から通われていたそうです。
この朗読劇は、例えば今年は名古屋でも劇団が上演していますが、舞台となって
いる八重山で、地元市民のキャストで演じられるのは初めてだそうです。

友情出演の「いしがき少年少女合唱団」、ソプラノ歌手の十文字恵美さんの歌声
からスタート。しょっぱなから泣かせられてしまいました…。

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「波照間島の人たちが、戦争中に西表島の南見風田の浜に強制疎開させられて、
沢山の人たちがマラリアにかかって亡くなった。」
…という話や、「忘れな石」は知っていたけど、実状はあんまりわかっていませんでした。
その後、波照間島に戻ってからが更に恐ろしい状態だったなんて全く知らなかった。
映画以上のドラマが、私達の住んでいる八重山諸島でもあったんですね。
(でも、世界ではまだ、終わっていない。)

大泊ミツフさんは、疎開から波照間島に戻った後、お姑さんがマラリアにかかって
「皆をたのむ。そしてお前は生き残って、戦争マラリアの証人となれ」と遺言を残
して亡くなった。その後、自分自身もマラリアにかかり、嫁いだ家(大家族)に迷惑
をかけられないと、島内の実家にやっとの思いで歩いて戻って療養していた。
療養中に自分の小さな息子が訪ねてきたが、せつない想いで追い返した。

「かあちゃん、かあちゃん〜!!!」と泣き叫ぶ息子を。
(地元の人が演じているので、発音が凄くリアルなんです。)

その数日後、追い返した息子がマラリアにかかって亡くなったと連絡がはいった。
ミツフさんが数ヶ月後に婚家に戻ると、17人家族だったのに、自分以外の全員が
マラリアで亡くなっていた。その中には2人の息子も。お家のなかはからっぽだった。
嫁の自分だけ生き残った。仏壇の前で自分を責めた。

…こんな話は、大泊さんのお家だけではなかった。また、一家全滅のお家も。

行ったことのある方はよくご存知だと思いますが、とても小さな波照間島でのお話です。


疎開で島民がいなくなっている間、日本軍が家畜を屠殺して、肉を薫製にして
軍の食料として運びだしていたそうです。
波照間の人たちが疎開させられた本当の理由は、それが目的だったそうです。
疎開前、牛や山羊や鶏がたくさんいて、石垣島では「波照間の卵」といえば
上等で高値がついたようです。
大変な仕事である屠殺は少年兵たちが数ヶ月かかってやらされていたそうです。

それが、戦争。

疎開から戻ってきた島は、荒れ放題で家畜の死体ばかり。
食べ物も無く、異臭も凄い。疎開さえなければ、あんなに多くの人が死ぬことは
なかった。ソテツを発酵させて食べていたが、みんな栄養失調状態だった。
波照間では、終戦の年の9月、お葬式のない日はなかった。
同じ日に2人送りだす家もあった。

今現在も、波照間島での有名な旧盆行事、ムシャーマでは、戦争マラリアで
亡くなった人たち、子供たちの魂もかえってきて、一緒に踊る。

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(画像は『ハテルマ ハテルマ』のちらしより)

特にひどかった波照間島だけでなく、八重山諸島各地でマラリアで多くの方が
亡くなった…そう思うと、島出身の方は貴重な命をリレーされた方たちですね。

先週は、5才のしゅうや君、扁桃腺でまたまたずっと幼稚園お休みで、私自身仕事
もできず、子守りと板挟み&折り紙ストレスで疲れきっていましたが、それでも幸
せな事だよなぁと思いました。
しゅうやも、黒島や与那国島の血が流れている。有り難い命のリレー。
これからは島での伝統行事も、もう少し深く感じ入ることができると思います。
上演してくださった皆様、ありがとうございました。

八重山諸島、特に波照間島ファンの方、もしお近くで上演の機会があったらぜひ
見て頂きたいです。

命どぅ宝  『ハテルマ ハテルマ』

※感想や一部あらすじを紹介しているページを見つけましたので、リンクさせて頂きます。
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by kurin-nachu | 2010-10-25 01:15 | 八重山生活
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